[その参]

昆布ロード賛歌。

シベリアからの白鳥はまだ飛来しないけれど、魚津の浜に鮃が揚がったという。
魚のおいしい季節になりましたなあ、と年配の売薬さんがやって来た。いまは家庭薬配置員と呼ぶらしい。縁側で、薬の詰まった柳行李を開ける。妻がお茶請けに小さく切った昆布を出すと、私らの商売は昆布のおかげなんですよ、とおもしろいことをいう。

江戸時代、大阪と北海道を結んで日本海を北前船が往来していた。富山には船主が多く、米や味噌などを北海道へ運び、帰りは昆布やにしんなどを積んで来た。やがて富山に昆布の食文化が生まれる。刺し身の昆布じめ、昆布巻きかまぼこ、とろろ昆布・・・。だが、どこに越中売薬が関係するのだろう。

昆布の一部は大阪を経て薩摩へ運ばれた。薩摩藩は、琉球を通して清国へ昆布を密輸した。逆に清国から富山へ、漢方薬の原料が運ばれてきたのだという。薩摩藩はこの利益で財政を建て直し、銃を調達した。昆布が明治維新を促したのかもしれませんなあ。売薬さんはそういって帰っていった。

いやはや実に壮大な話ではないか。今夜は昆布じめ刺し身で一献、といきたい心境だ。もちろん『櫓旬』で、と妻に申し出る。いや、その前に人生の師へ『櫓旬』を贈ろう。絢爛たる一切れに、失われた昆布ロードのロマンを味わっていただけるかもしれない。